●●●● No.45/十夜様 ●●●●

= Bitter & Sweet =
 波は穏やか。空は快晴。涼しさを通り越し少し冷たい秋風も、今日は心地よく感じられる。
 甲板の上でゾロは大きく伸びをすると、3本の愛刀を腰に携え、船を降りて行った。
 今日、ゾロは、たしぎと久しぶりに二人きりで会う約束をしていた。
 海賊と海軍 ― 敵同志とも言えるこの異なる派に属するこの二人が、一緒の時を持つことがどんなに難しい事か。
  それが判っているからこそ、二人は出会える機会をとても大切にしていた。

 だから先週、たしぎから「来週1週間、休暇が取れる」という手紙が届いた時、ゾロは普段と変わらない様子で
  特に口にも態度にも出さなかったが、実は、内心その日を待ちわびていたのである。
 今まで1週間という時が、ゾロにとってこれほど長く感じたことはなかった。
 約束の場所は、ゴーイングメリー号が停泊している場所から、さほど離れていない灯台岬の真下の浜辺。
  その待ち合わせの場所に行くと、まだたしぎの姿は見えなかった。
(またか・・・。)
 ゾロは軽く息をつくと、浜辺にごろりと横たわった。
 勝手きままな「海賊」のゾロと違って、規律厳しい「海軍」のたしぎが、仕事の都合で約束の時間に遅れてくることは
  今までも多々あった。時には土壇場でキャンセルということもある。
 その度に、ゾロとしては、何となく面白くなかったのだが・・・。
(・・・まぁ、今回は時間があるしな・・・。)
 それから間もなく。ゾロの耳に遠くで砂を蹴る音が入ってきた。時々、小さな悲鳴まじりに聞こえてくる、その音。
(・・・転んでんな。また。)
 ゾロは口の端を軽く持上げて、笑った。
 しゃらしゃらと砂音が近づいてくる。ゾロは静かに眼を閉じ、眠っているふりをした。
 
 転んで砂塗れになった服を掃いながら、たしぎはゾロのもとに駆け寄った。
「ごめんなさいっ!遅くなりましたっ!」
  まだ息も荒い口で、真っ先に謝る。その声を聞きながらゾロはまだ眼を閉じている。
「・・・ロロノア? ・・・寝てるんですか?」
 返事がないゾロの様子を伺うように、たしぎが膝をついて、そっとゾロの顔を覗き込んだ。
「・・・ロロノア?」
 再びたしぎが声をかける。しかし、その声は小さく囁くようで、どうもゾロを起こすべきか、
  寝せておくべきか迷っているようだ。
「・・・ロロノア? ・・・うーぅっ、どうしよう。」
 眼を瞑っているのに、たしぎがオロオロしている様子が手にとるようにわかる。ゾロはとうとう堪えきれずに笑い出した。
「くっ!! くくくっ!!」
「!?」
 眠っていると思ったゾロが突然笑い出したので、たしぎは少し面喰ったようだ。その顔がゾロの笑いをさらに誘った。
「起きてたんですか! もぅ、人の悪いっ!」
 たしぎは、からかわれた事に腹を立てて口を尖らせた。
 ゾロは笑いながら上半身を起こすと、傍らに跪いているたしぎの髪についていた砂を掃った。
「転んだんだろ。まだ、砂ついてんぞ。」
「!!」
 ふいにゾロの大きな手で髪を触れられて、たしぎは、一瞬身体を強張らせ、顔を赤らめた。 
  その照れ方が素直すぎて、ゾロも急に照れくさくなり、慌てて手をたしぎの髪から離した。
「・・・。」
「・・・。」
 少し気まずい沈黙が流れる。
(・・・こういう雰囲気は苦手だ。)
 たしぎから視線を外し、ゾロは自分の髪に手をやりながら、つくづく自分は「恋愛」というモノに向いていないと思った。
 一方たしぎは少し照れが治まると、無言になってしまったゾロの方と、目の前の秋の海を
  交互に見やりながら、なにやら言い出そうとして、言いそびれているようだった。
「あの・・・。」
 ようやく決心がついたのか、たしぎがゾロに声をかけた。
「あ?」
 ゾロが海を見ていた翠の瞳を、たしぎに向けた。
「・・・遅れて、ごめんなさい。」
「あぁ、その事か。・・・別にいい。」
 たしぎの詫びに、あっけなくゾロが答えた。
「でも、せっかく会えたのに・・・。」
「今に始まったことでもねェし・・・。それに今回は時間はたっぷりあるんだし・・・。」
「・・・。」
 そのゾロの言葉に、たしぎは言葉を詰まらせた。
「・・・どうしたんだよ。」
 たしぎが急に俯いてしまったので、ゾロが訝しげに尋ねた。その声に反応するかのように、たしぎは深々と頭を下げた。
  その勢いは頭がまた砂に届きそうなほどであった。
「本当にごめんなさいっ!」
「だから、いいって・・・。」
 ゾロがそう言い終わるか、終わらないうちに、たしぎがゾロの声を遮った。
「違うの!」
「!?」
「・・・今のお詫びは・・・これからの分なんです・・・。」
 たしぎは申し訳なさそうに、眼を伏せた。
「・・・今回の分って、どういうコトだ・・・?」
 事情がよく飲み込めないという面持ちでゾロが問いただすと、たしぎは、少し言いよどみつつも答えた。
「実は・・・、明日から数日、ちょっと会えないんです・・・。」
「なんだって?」
 意外なたしぎの言葉に、ゾロは眼を見開いた。その顔を見て、たしぎが再び眼を伏せる。
「仕事か?」
「仕事・・・とは、ちょっと違うんですが・・・、その・・・。」
 珍しく歯切れの悪いたしぎの答え方に、ゾロは何だか無性に腹が立ってきた。今まで散々待たされ、
  時には約束を反故にされてきたが、今回はゆっくりと会えるだろうと期待していただけに、
  それは尚更のことだった。ついついキツイ口調になる。
「・・・お前なぁ・・・、そういうコトは早く言えって。」
「ごめんなさい・・・。」
「だいたい、守れもしねェ約束なら最初からするなよ。」
「・・・。」
「いつもいつも『仕事』『仕事』。たまの休みにも約束を破られるとはな・・・。」
 ゾロがため息をつくと、俯いたまま黙ってゾロの話を聞いていたたしぎが、キッと顔を上げた。
「そういう言い方ないでしょうっ!!」
「!!」
「・・・私だって、好きで約束を破ってるワケじゃありませんっ!!」
 たしぎの細い肩がわなわなと震えている。
「私だって、私だって、あなたに会いたいと思うからっ!! 時間が出来たら、あなたと会うように
  したいじゃないですかっ!! それを・・・そんな風に思っていたなんて・・・。」
  そう言うとたしぎは、その深瑠璃色の瞳に涙を浮かべてゾロを睨みつけた。
 初めて見るたしぎの涙に、ゾロは愕然とした。
 しょっちゅう小さな口喧嘩はしていたが、たしぎに泣かれたのは初めてのことだった。
 刀を振るうにはずいぶんと華奢な手で、たしぎは溢れる涙を抑えようとしていたが、涙はたしぎの意志に反して
  次から次へと零れ落ちた。
「・・・おっ、おい・・・。」
 ゾロが戸惑いながらもたしぎを宥めようとしたその時、たしぎは、これ以上涙を零すまいとするように
  眼をぎゅっとつぶって立ち上がった。
「・・・私、今日は・・・もう帰ります・・・。」
  そう言ってたしぎは、街の方へと走り出した。
「!?」
 たしぎの後を追おうとして、ゾロは自分の身体が金縛りにあったかのように動けないことに気がついた。
  それは未だかつて見たことがなかった、たしぎの涙のせいだという事にゾロは気づかなかった。
 呼び止める声さえ出せず、ひとり遠くなっていくたしぎの後姿を、ゾロはなんとも言えない苦い思いで見つめていた。

 あれから3日が過ぎた。 ― たしぎから連絡はない。
 ゾロの方からもなんとなく会いに行きづらいまま、今日までイタズラに日を重ねてしまった。
 この港町に停泊中はたしぎと過ごすつもりだったが、それが叶わない今、ゾロは甲板で気だるげに横たわっていた。
 その様子を見たナミが、みかんの木の世話をしていた手を休めて柳眉を寄せた。
「あぁーもぉ、鬱陶しい!! 毎日毎日、大のオトコがごろごろと!!」
「うるせェ・・・。」
「・・・ったく。やることないんだったら、少しは手伝いなさいよね。ほらっ。」
  ナミはゾロに古びたタオルを投げてよこした。
「何すんだ? こんなモンで。」
 投げ渡されたタオルを摘み見ながらゾロが尋ねると、ナミはみかんの葉を一枚一枚丁寧に拭きながら答えた。
「みかんの木に虫がつかないよう、葉を拭いていくの。」
「・・・クソコックにでもやらせろよ。」
 うんざりした顔でゾロが言うと、ナミはペロッと舌を出して言った。
「残念でした。サンジくんはお出かけよ。」
「ありゃぁ、きっとオンナだな。」
 ゾロたちと少し離れた位置でパチンコの新しい「星」を作っていたウソップが口を挟んだ。
「妙に浮かれてたしな。うん、間違いない。」
 ウソップは、そう言うと一人納得したようにウンウンと頷いた。
「へェ・・・。いいねェ、年中頭が「春」のヤツは。」
 サンジの浮かれっぷりが目に浮かぶ。ゾロは頭を軽く振り、呆れたように呟いた。
「どーでもいいけど、早く手伝ってよ。」
 なかなか動き出さないゾロの様子にナミが痺れを切らして言うと、ゾロはタオルをウソップの方に
  投げかけた。突然、タオルに視界を阻まれて、ウソップがオタオタしている。
「あわっ!? あわわわわわわっ!!」
「ナミ、ウソップが手伝うってよ! 俺はちょっと出かけてくる!」
 そう言うやゾロは、船縁をひらりと越えて浜辺へと飛び降りた。
「ちょっ!? ちょっと!!」
 甲板から下の浜辺までは、ゆうに二階建ての屋根から程の高さがある。それを飛び降りるなどとは。
  ナミが慌てて船縁から身を乗り出した。
 見下ろすと下の浜辺でニッと笑うゾロがいた。
「ふ〜、呆れたヤツね。」
 ナミは嘲笑って、街の方へと駆けて行くゾロの後ろ姿を見送った。
 
(やっぱ、このままじゃマズイよな・・・。)
 ゾロは眉間にしわを寄せ、街なかを歩いていた。ナミの手伝いから逃げる為だけに、あてもなく
  街へと来たわけではない。街の中なら偶然を装って、たしぎと出会えるのではないかと考えたからだ。
(・・・ばったり会えば、「よぉ」とでも言えんだけどな・・・。)
 しかしそんな淡い期待も虚しく、たしぎとは出会えないまま、ゾロは街の中央にある広場の噴水前までやって来た。
 軽くため息をつくとゾロは噴水横のベンチに座り込み、腰に差し込んでいたたしぎからの手紙を
  取り出した。手紙には、休暇中のたしぎの滞在場所が書いてある。
 たしぎが居る場所は、この噴水のある通りからもう少し中に入った所にある、中期滞在向きの
  アパートだった。喧嘩別れしたあの日から、この3日間、何度この住所を確認したことだろう。
  方向音痴のゾロが道に迷わずにここに来れたほどに・・・。
(・・・。)
 この通りからもう数歩踏み入れば目的のアパートだというのに、ゾロはなかなか決心がつかなかった。
(・・・どうすっかな・・・。)
 仰ぎ見た空は、数日前の晴れ渡ったものとは様相を変え、今のゾロの気持ちそのままに、
  重々しい灰色の雲が低く垂れ込めていた。
 街行く人の姿を眺めながら、小一時間ほどそうしていただろうか。とうとう雨の一滴が、ポツリとゾロの顔に落ちてきた。
 秋の雨は霧のように細かく、音もなく、しかし思うより速く、街を包んでいく。
 今まで途切れることのなかった人波が、嘘のように引いていった。
 ゾロも一旦は船に引き上げようと思ったが、ベンチから立ち上がって、ふと動きを止めた。
 泣き顔のたしぎの顔が、ゾロの脳裏をかすめた。
(・・・今度、アイツに会えんのは、いつになるんだ・・・?)
 明後日には、たしぎの休暇も終わりを告げる。自分も航海を続ける為に、この街を後にする。
  そうすれば、また二人きりで出会える事などいつになることか。
(その時まで、思い出す顔がアイツの泣き顔・・・。)
 ぎゅっと眼を閉じると、ゾロはブルブルと頭を振った。
(冗談じゃねェ!!)
 そう思うや否や、ゾロの脚はすでに走り出していた。
 アパート近くの街路樹の傍で、ゾロは少し上がった息を整えた。そしてたしぎがいる筈の窓を見上げると、
  自分の気持ちを固めるかのように小さく頷いて、アパートへと歩き出そうとした。
 が、そこでゾロは、アパートの前の入り口に見慣れた男の姿を見つけた。金髪に、咥え煙草。
  細身の黒いスーツのその男は、あのサンジであった。
(クソコックっ!? なんでこんなトコロにっ!?)
 ゾロは慌てて街路樹の木陰へ姿を潜め、そっと様子を窺った。
 ふと、ウソップの言葉を思い出す。
『ありゃぁ、きっとオンナだな。』『妙に浮かれてたしな。うん、間違いない。』
(オンナのトコか?・・・それにしても何だって、ココなんだ・・・。)
 この港町はわりと大きな街の方である。アパートだって何件もあるだろうにと、ゾロは奇妙な偶然に軽く舌打ちした。
 しかしサンジは、そんなゾロに気づくことなく、そのまま建物の中へと消えていった。
 ゾロは、サンジが自分に気づかなかったことに安堵の息をついた。
 ここにゾロがいることに、サンジが気づけばきっと理由を聞かれるだろう。そして、その理由を聞けば、
  サンジは間違いなくゾロを嘲笑するに決まっている。
(アイツにだけは知られたくねェ。)
 ゾロは渋い顔をし、少し間をおいてから、アパートへと入って行った。
 アパートのエントランスホールの中に入って周囲を見渡す。
 サンジの姿は見えない。すでに目的の部屋の方へ向かったのだろう。
 ゾロは、再びホッとした。これで気兼ねなくたしぎの部屋へと向かえるというものだ。
 たしぎの部屋の番号は知っている。2階の一番奥の角部屋。ゾロは足早にその部屋へと向かった。
 アパートの中は思ったよりも静かだった。雨が降ってきたことで、外出をする人も少ないのかも知れない。
  たしぎの部屋の前に着くまで、ゾロは誰ともすれ違わなかった。
(ずいぶんと静かだな・・・。)
 そんなことを思いながら、たしぎの部屋のドアをノックしようとしたその時。
 ゾロは自分の耳を疑った。
「これでいいんですか? サンジさん。」
 ドアの内側から漏れ出た声・・・それはドアに阻まれ、少しくぐもってはいたが、間違いなくたしぎの声だった。
  そして、たしぎが呼びかけた、その名前。
(「サンジ」だと!?)
 ゾロの瞳が、驚きで見開かれる。
 その驚きに追い討ちをかけるように、サンジの声が続いた。
「いいですね、たしぎさん。やはり、あなたはステキな女性だ。」
 サンジが女性を褒め称える時の(オトコに声をかける時には絶対聞かせない)、柔らかく、耳に滑り込むような優しい声だ。
(!!)
 ゾロは思わず声を上げそうになった。それを慌てて手で塞ぐ。
(んなっ!? なんで、クソコックがココにいんだっ!!)
 ドアの外にゾロがいることなど知らない二人の会話が、途切れ途切れに聞こえてくる。
 頭の中を混乱させながらも、ゾロの耳はその会話を聞き漏らすまいと、ゾロ自身が思っている以上に過敏になっていた。
「そんなっ、全然、私なんてステキじゃないですっ!」
 サンジの言葉に、たしぎが否定しているらしい。そんな様子にサンジが軽く笑っている声がする。
「照れることないじゃないですか。本当のことなんだし。」
「・・・はぁ・・・。」
 たしぎが心もとない様子であいまいな返事をしている。
  しばらく沈黙が続く。
 ゾロは、部屋に入るべきかどうか迷っていた。何故ここにサンジがいるのか見当もつかない。
  どうしていいものかゾロが部屋の前でうろうろしていると、静かだった部屋から「ガタンっ!」という物音とともに
  サンジの切羽詰ったような声がした。
「たしぎさん!!」
 それと同時にたしぎの悲鳴が上がった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 ゾロの顔色がさっと変わった。
(あんの、クソコックっ!!!)
  思い切りドアを蹴って、中へと飛び込む。
「おいっ!!」
 ゾロが声をかけて部屋の中を見渡すと、テーブルの傍でサンジがたしぎを抱きかかえるように立ち、
  突然飛び込んできたゾロの方を驚いた顔で見ていた。
「!!」
 そんなサンジの左頬に、ゾロは勢いよく右ストレートを叩き込んだ。
 いきなりゾロが現れた事、たしぎを抱きかかえるように立っていた事が、サンジの動きを鈍くしたのかもしれない。
  いつもなら、ゾロに負けないほど戦い慣れしているサンジのこと、軽くかわしているだろう、その真っ正直なストーレートを
  珍しくまともに喰らってしまった。
 傍にあった椅子とともに、サンジが大きな音を立て床に倒れこむ。
「この色ボケ、クソコックっ!! たしぎに何しやがったっ!!」
 噛み付かんばかりの形相で、ゾロはサンジに言い放った。
 たしぎは、一瞬に起こった出来事に驚きで言葉を失ったようだ。呆然と立ち尽くしている。
 サンジは頭を軽く振り、殴られた衝撃を振り払いながら、口元に手をやった。先程の一発で口の中が切れたらしい。
  手の甲についた血を見ると、忌々しげに舌打ちした。
 そして立ち上がるとともに、ゾロの足元を強烈なローキックで払った。
 頭に血が上っていたゾロは、いとも簡単に足を取られ、今度はゾロが倒れこんだ。
「クソったれは、てめェの方だっ!! 大バカ野郎がっ!!」
 怒りでキレた眼で睨みつけながら、サンジはそう言うと、ゾロの胸倉を掴んだ。
「っんだとっ!!」
 ゾロも負けずにサンジのシャツを掴み返す。
 取っ組み合いの殴り合いになりそうになったその時、我に返ったたしぎが、ボウルで二人に水を浴びせ、叫んだ。
「やめなさいっつ、二人ともっ!!」
「・・・。」
「・・・。」
 頭の天辺から爪先までずぶ濡れになったゾロとサンジは、あまりの事に眼をぱちくりとさせた。
  揃ってたしぎの顔を見上げると、たしぎは眉を吊り上げて怒っている。
「馬鹿なことはよしなさいっ!! さぁっ、手を離してっ!!」
 そこからは、二人ともたしぎの指示に従うしかなかった。
「・・・どういうコトなんだよ、一体。」
 バスルームで濡れた身体をタオルで拭きながら、ゾロはサンジに問い詰めた。
 同じようにタオルで頭を拭きつつ、サンジが答える。
「・・・だから、さっきから言ってんだろ。俺は、たしぎさんに料理を教えに来たんだって。お前、
 聞いてるか? 人の話をよ。」
 たしぎは居間の方で、汚れた床を困ったような表情で片付けている。
 その様子を横目で見つつ、ゾロは小声でサンジに再び尋ねた。
「だから『料理を教える』ってなんでだよ。海軍にもコックぐらいいんだろ。別に料理することもねェし・・・。」
 ゾロの言葉に、サンジは大きなため息をついた。
「てめェは、ほんと大バカ様だよ。」
「ごめんなさい、身体が冷えちゃったでしょう。」
 二人が身体を拭き終わると、たしぎが熱い紅茶を出してくれた。
「サンジさんには、本当に申し訳ないことをして・・・。」
 たしぎが、すまなさそうに言うと、サンジは「いや。」と微笑んで言った。
「気にすることないですよ、たしぎさん。悪いのは、みんなコイツのせいだから。」
 そう言うとサンジは紅茶を飲みながら、ゾロを指差した。
「・・・。」
 ゾロは黙ってそのサンジの行為に耐えていた。いや、耐えざるを得なかった。
 たしぎの話によると、サンジに料理を習っていたのは本当で、ゾロが飛び込んできた時の状況は、
  たしぎがぼんやりとしてオーブンに素手で手を突っ込もうとした為に、サンジが慌ててそれを止めた所だったらしい。
  それでもオーブンの熱で少し指先を火傷したたしぎは、火傷の痛みというよりも、オーブンの熱さに驚いて
  悲鳴をあげてしまったというのが真相だった。
(・・・くだらねェと言えば、くだらねェけど・・・。)
 これでしばらくサンジには頭が上がらないことに、ゾロは、深いため息をついた。
「・・・だけど、なんで料理なんてしようと思ったんだよ。」
 ゾロが眉間にしわを寄せて紅茶を啜ると、たしぎとサンジがちょっとビックリしたように眼を合わせた。
「えっ・・・と・・・。」
 また、たしぎが言いよどむ。あの浜辺で会った時と同じように・・・。
 ゾロの言葉にサンジは呆れ返った顔をして、たしぎに言った。
「・・・たしぎさん、もぅ、いいんじゃないですか? コイツ、ほんっとっバカだから、言わなきゃ
 わかんないんですよ。」
 そしてゾロの方に向き直ったサンジは、ゾロの鼻先を摘んだ。
「んなっ!?」
 鼻を摘まれて怯んだゾロに、サンジが言った。
「おいっ、このドンカン剣士っ!! 俺はもう船に戻るけど、てめェはもうしばらくココに居させて
 もらえよなっ!! 俺は、今、てめェの面、見んのも腹立たしいんだからなっ!!」
 そういい終わると、サンジは再びたしぎに向かい、深々と頭を下げた。
「美味しい紅茶をありがとうございました。また、何かありましたらお呼びください。・・・海軍基地に
  呼びつけられるのは勘弁ですけど。」
「そんな、サンジさん。まだ服も乾いていないのに。」
 たしぎがそう引き止めても、サンジは「オトコは引き際も肝心ですから。」と笑って、部屋を後にした。
 そうして、ゾロとたしぎだけが部屋に残された。
 何となく気まずい空気が二人の間を満たしていく。
 窓の外はまだ雨が降っている。静まり返った部屋の中で、時計の針の音だけが響いていた。
「あのな・・・。」
「あの・・・。」
 沈黙を破るように、二人はほぼ同時に声を上げた。そのあまりのタイミングのよさに、お互いに顔を
  見合わせて、どちらからともなく噴出した。
「くっ、くくくくっ。」
「ふふふ。」
 ひとしきり笑い終わると、ゾロは自分の胸の中の雲がすっきりと晴れたように感じた。
「・・・この間は、悪かったな。」
 ゾロが鼻の頭を指で掻きながら、ぼそりと呟いた。
 たしぎは頭を左右に振る。
「・・・私もいけなかったんです・・・。約束を破ってばかりいたのは、本当のことなのに・・・。」
「仕方ねェ。海軍は忙しいんだろうしな。・・・それをわかっていて怒る俺が、小せェオトコなんだよ。」
 そう言うとゾロは、紅茶の残りを飲み干した。たしぎはテーブルの上で両手の指を所在なげに弄びながら、
  そんなゾロの言葉を黙って聞いている。そのたしぎの指先に貼られた絆創膏に気づいて、
  ゾロがたしぎの手を取った。
「・・・大丈夫なのかよ。指にケガして、刀、握れんのか?」
 ゾロに手を取られて、「・・・大丈夫・・・。」と頷きながらも、たしぎはまた顔を赤らめる。
  ゾロも照れくさかったが、今日は、このままたしぎの手を離したくなかった。
「ケガしてまで、料理する必要があったのか?」
 照れ隠しに、まだ答えを聞いていない質問をゾロは繰り返した。
 たしぎは更に顔を赤らめる。その赤さは顔だけに止まらず、いまや、耳や、開襟シャツから見える首筋まで赤い。
  しばらく口篭もっていたが、消え入りそうな小さな声で、たしぎはようやく答えを囁いた。
「・・・その・・・ケーキを焼いてみたくて・・・。」
「ケーキ!?」
 ゾロは意外そうな声を上げた。その言葉に、たしぎは恥ずかしそうに肩をすぼめた。
「なんで、ケーキなんか・・・。しかも、クソコックに教わるなんて・・・。海軍コックは、ケーキ
 なんて軟派なものは作らねェのか?」
「・・・そうじゃなくて・・・。」
 たはははっと、たしぎは困ったような、照れた笑いをした。そして覚悟を決めると、ゾロに本当の理由を話した。
「・・・あなたの誕生日に・・・と、思って・・・。サンジさんに教えていただいたのは、あなたの
 好みの味をご存知だから・・・。」
「!!」
『誕生日』― 言われてみれば、すでに暦は11月。そして明日11日は、自分の誕生日だったことに、
  ゾロはようやく気がついた。
「・・・じゃぁ、この間の・・・会えないってェのは・・・。」
 驚きを隠せないゾロが問い掛けると、たしぎは照れ笑いしながら言った。
「私、不器用じゃないですか。・・・だから1回教えてもらったところでダメだろうと。せめて3回ぐらい作れば
  なんとか、と思ったんですけど・・・でも結局、今日も失敗してしまって・・・。」
 そう言うとたしぎは、キッチンの方に目を向けた。視線の先には、ふくらみが足らず、歪な形の、まだ
  デコレーションされていないココア色のスポンジケーキがあった。
「・・・やはり、女らしいことは苦手みたいです、私。」
 たしぎはそう言って、少し寂しそうに笑った。
「・・・。」
 ゾロはそんなたしぎを見て、愛しさで胸が苦しくなった。そして、たしぎの手を離して言った。
「・・・喰わせてくれよ、ケーキ。」
「!?」
 たしぎは驚いた顔をして、ゾロを見つめている。
「俺へプレゼントしてくれるつもりだったんだろう?」
 ゾロの言葉に、たしぎは慌てて両手を強く振った。
「だっ・・・だめですよ!! ぜんぜん膨らまなくて、美味しくないですっつ!!」
「いや、喰う。」
 そう言うとゾロは立ち上がり、キッチンへと向かった。たしぎが、阻止しようとその後を追う。
 しかし、ケーキの皿を先に取り上げたのは、やはりリーチの長いゾロだった。
「あぁぁぁー。」
 たしぎが困りきった顔をしている横で、ゾロは、ココア色のスポンジケーキを無造作にちぎって口に放り込んだ。
 目を閉じてゆっくりと噛み締める。たしぎが、心配そうにその顔を覗き込む。
 ゴクリとゾロの喉が鳴った。
 しばらくゾロは、眼を閉じたまま動かない。
「・・・ロロノア、大丈夫ですか?」
 あまりの不味さにゾロがカタまってしまったのではいかと、たしぎが恐る恐る声をかける。
 その声にゾロは瞼を開けると、しみじみと言った。
「・・・美味い・・・。」
「えっ!?」
「うん、美味い。美味いぞ、コレ。」
 最初はお世辞かと思ったたしぎだが、ゾロが本当に美味しそうに、次から次へとケーキを口に放るのを見て、
  ほっと息をついた。
「・・・よかった。形は悪かったけれど、味の方は、気に入ってもらえたようですね。さすがにサンジさんだわ。」
「・・・。」
 たしぎの言葉に、ふとゾロの手が止まった。そしてたしぎの顔を見たかと思うと、ぐいっとたしぎの手を引き寄せた。
「きゃっ!!」
 いきなり引き寄せられたたしぎの身体はバランスを崩し、ゾロの胸の中へと倒れこんだ。その身体を包み込むように
  ゾロの両腕が重ねられる。
「な・な・な・何をするんですかっ!」
 たしぎの治まった顔の火照りが、またぶり返す。その火照りは、ゾロの方にも移ったようだ。ゾロの顔もものすごく赤い。
「はっ、放してくださいっ!!」
 じたばたと暴れるたしぎに、ゾロはぶっきらぼうな口調で聞いた。
「・・・クソコックの方がいいかよ・・・。」
「何、言ってるんですか? とにかく放してくださいってば。」
 問いには答えず、逃げ出そうとするたしぎの身体を、ゾロはしっかりと抱きかかえて言った。
「言うまで放さねェ。」
 我儘な子供のようなゾロの口ぶりに、たしぎは、ため息をついて仕方なく答えた。
「あなたと、誰かを比べることなんて出来ません。あなたは別格ですから。」
「・・・。」
 ゾロは黙ってたしぎの瞳を覗き込んだ。その澄んだ翠色の瞳は、まるで深い深い湖の色にも似て、
  たしぎも思わず大人しくなった。
「・・・。」
「・・・たしぎ。」
 ゾロが、たしぎの名前を呼ぶことは滅多になかった。いつも「おい」とか「お前」とかばかりで。たしぎは
  名前を呼ばれたことに、ぴくりと身体を強張らせた。
 そんなたしぎに、ゾロは静かに顔を寄せた。拒まれることがないことを祈りつつ。
 たしぎの髪がゾロの頬に触れる瞬間、たしぎはゆっくりと目を閉じた。
 柔らかな、少し湿った感触が、ゾロとたしぎ、お互いの唇に感じられた。
 そしてお互いが感じた味覚。
(あまい・・・。)×2
 その甘さは、まるで極上のケーキのようだった・・・。

 その頃、ゴーイングメリー号では・・・。
「ゾロのヤツー。まだ、戻ってこないのかよー。」
 夕食を待ちきれないルフィが、スプーンで皿を叩いている。
 その隣では同感だと言わんばかりに、ウソップが相槌を打ちつつ、文句を言っている。
「あいつー、人にみかんの世話押し付けといて何処うろついてんだぁ?」
「もうちょっと待つ?」
 ナミがキッチンのサンジに声をかけると、サンジは鍋の中のシチューをかき混ぜていた手をふと止めて、ちょっと考えて答えた。
「いや、先に喰っちゃいましょう。・・・ことによるとアイツ、今日は船に戻らないかもしれないし。」
「それ、どういうコト? サンジくん。」
 ナミが不思議そうに尋ねると、サンジは「いえ、こっちの話ですよ、ナミさん。」と笑って、
  熱いシチューをナミの前に差し出した。
 その夜、ソロが船に戻ったかどうかは、誰も知らない・・・。
                                                           Fin.
 〜 あとがき 〜 と言う名の謝罪文。
 すごいスランプでしたー。(−Δ−;
 もぅ、話まとまんなくて。(泣)
 書き上げた瞬間に灰になった、私。*〜(0∇0; (← 灰になった顔の図。(笑))
 ぞ太さま、これをご覧下さったみなさま、すいませんー。だらだらと長くてー。
 少しでも、本当に少しでも、お気に召していただければ幸いですー。(T^T)
 とりあえず、ゾロへ 
 "HAPPY BIRTH DAY TO YOU!! 2000.11.11!!"                                                           十 夜