●●●● No.31/かみん様 ●●●●

『BIRTH DAY』
どうしよう・・・。
海軍本部曹長、たしぎは今、非常に急を要する決断を迫られていた。
じっと手配書と、破棄予定の登録書を見比べる。
その二枚の紙には同じ男の顔写真が印刷されている。
不遜な表情の男は、写真の中までも無愛想な目で口を歪めている。まるでたしぎの迂闊さを責めているように。
2千万ベリーの手配書と、海賊狩りの賞金稼ぎの登録書。
たしぎはチラリ、と書類整理の手伝いを命じた上司の表情を盗み見る。
彼女の上官、スモーカー大佐は溜めこんだ書類にいやいや目を通し、黙々とサインを続けている。
分かりきった事だが機嫌が悪い。
グランドラインの中程に位置するこの島に上陸してからというもの内乱の続く国柄の関係で、彼ら海軍の行動は
著しく制限されていた。港に戦火は及んでいないが、海賊の事など構っていられないのが現状である。
彼らの追う『麦わらルフィ海賊団』がこの島にいるのは間違いなかったが、
現在は停泊している船の中で缶詰を余儀なくされている状況だ。
スモーカーは歯切れの悪い政府の対応と、要領を得ない現地の支部の言い分にかなり苛立っている。
それでも何とか部下達に取り成され、たしぎに手伝わせて放置していた書類の整理を始めたのだ。
たしぎはまた手にした二枚の書類に目を落とした。
そして頭の中で言い訳を考える。
尋ねた事もない事だったから、知らなかったのは仕方がない。
彼も語らなかったし、こだわっている事でもないのだろう。
昨日港の通りで遭遇し、剣を合わせた時は何も言わなかった。相変わらずからかうような、
余裕の表情でたしぎの刀を飛ばし、片手を上げて去って行った。
彼自身も忘れている事なのだろう。それとも、たしぎが知る必要はないと思っていたのだろうか。
そろそろ夕刻へと差しかかろうとしている。
登録書にある、彼の、ロロノア・ゾロの個人データ。
今日は非番ではない。勤務時間終了まであと1時間。しかし、この状況から抜けられる自信はない。
何しろ上司の機嫌はすこぶる悪い。
眉間に深く皺を寄せ、書類が破けそうな筆圧でサインを続けている。
もともと海軍における正確な勤務時間などあってないようなものだ。
たしぎは二枚の書類を握り締めると、そっとドアに向かった。
「・・・何処に行く。」
低い声に跳ね上がり、恐る恐る振り返る。スモーカーは書類に目をやったままだ。たしぎは自分のつま先に目を落とした。
嘘を付くのは気が引ける。後で鉄拳が落ちるのは分かっている。
でも。今日でないと意味がない。
「あの・・・トイレに。」
「ふん。」
スモーカーは気がない様子で頷くと山積みにされた紙の束から大雑把に一掴みをまた自分の目の前に置いた。
沈黙。もうこちらに意識はないようだ。スモーカーは書類に没頭している。
たしぎは彼の様子を気にしながら重たいドアを抜けた。
急がないと!!
愛刀『時雨』を脇に差すと走り出す。狭い艦内の通路ですれ違う他の海兵達にぶつかりながらたしぎは船のタラップを降りた。
「曹長、どちらへ?」
「えっと、買い物です。」
見張りの海兵に声をかけられ、しどろもどろに返事をする。海兵は別に不審に思わずに彼女の為に道を
あけた。
「お気をつけて。」
「ありがとうございます。」
真面目な性質のたしぎは、自分の大胆な行動にいささか驚いていたがそうも言っていられない。
今日は特別な日。早く彼を探さなければ。
海軍に入って初めて脱走。
たしぎは腹をくくると港の雑踏へと走り出した。
「大佐ぁ!!」
ノックもそこそこに部屋の扉が壊されん勢いで開き、スモーカーは思わずサインをしくじって書類を破いた。
「何だ!」
慣れない机仕事の苛々を、その侵入者にぶつける。入って来た海兵は慌てて敬礼をすると、手に持って
いたくしゃくしゃな書類を恐る恐るスモーカーに差し出した。
そこには、彼らが追っている海賊、『麦わらルフィ海賊団』の悪ガキの一人の写真が写っている。
ロロノア・ゾロ。元海賊狩り。
「こいつがどうした。」
スモーカーは興味もなさそうにその書類を海兵の足元に飛ばす。海兵は慌ててそれを拾い上げると、
書類に記された彼のデータを指し示した。
「大佐。ロロノア・ゾロは今日誕生日なんです!」
頭が痛い。
スモーカーは煙草を挟んだ太い指で額を押えた。
「誕生日がどうした。相性でも占うのか?」
気を取り直して海兵に皮肉を飛ばす。が、海兵は全く気が付かずに興奮した様子でスモーカーに告げた。
「たしぎ曹長が、エスケープしちゃったんです!!」
スモーカーは今度は右手の掌で額を押えた。
海兵の話によると、見張りが彼女を見送った後、その手配書と登録書が落ちていたらしい。
そういえばたしぎの様子に落ち付きがなかったと思い出し、登録書を何気なく見てみると、なんと今日は
ロロノア・ゾロの誕生日。
「・・・で、たしぎはヤツに会う為に脱走したと。」
「そのようです。」
スモーカーは葉巻を咥え、落ち付く為に深く息をついた。
・・・あの、
「大馬鹿野郎!!」
「うわぁ!」
スモーカーの船を揺るがす怒鳴り声に、突然部屋のドアが開くと海兵達が折り重なって倒れこんだ。
この船の船員全員がドアの外で押し合い圧し合い聞き耳を立てていたのだ。
最初に入ってきた海兵は気まずそうにスモーカーを見上げる。
スモーカーはぐったりと椅子の背に寄り掛かった。
阿呆の部下ばかりだ・・・。
海兵達は開き直りスモーカーの机に殺到した。
「大佐!曹長を追う許可を!」
「必ず連れかえります!」
「ロロノア・ゾロにうかうか曹長を渡せません!」
じろりと彼らを一瞥する。
要するに、皆退屈しているのだろう。スモーカーは彼らの必要以上に真剣な表情を見渡し、煙草を挟んだ指を差し向けた。
「たしぎを連れ戻して来い。」
「おおう!!」
雄叫びを上げ、部屋から転がり出て行く部下達を見送り、スモーカーは白い煙と共に肺に溜まった毒気を吐き出した。
戻ったら全員、鉄拳制裁を食らわしてやる。
かくしてたしぎ捕獲作戦は始まった。
抜け出して来た船でそんな事が起こっているとは露知らず、たしぎはその港街の表通りを見渡していた。
無理をして出てきたのはいいが、ゾロが船から降りているとは限らない。
ずぼらで出不精なゾロは船番をしている事の方が多いと言っていた。
昨日の彼の様子では、まだ出航はしていないだろう。町に出ているとしたら、彼が行くのは酒場・・・。
たしぎは一人頷くと酒場の看板を探す。うまく彼のいる酒場を見つけられればいい。
そして彼に会ったら、一言だけ言って帰ろう。
知らなければ知らないで良かった。ただ、知ってしまったから。
今日は、彼が生まれた日。
たしぎはそれらしい酒場を見つけ、扉から顔を覗かせる。が、ゾロの姿はない。店内から訝しがる視線が
飛んで来て慌てて謝ると頭を引っ込める。
そんな調子で4軒目の酒場の看板を見つけ、扉を押した。既に陽が落ちかかっている。早くゾロを探し出さなければ、
間に合わないかも知れない。
その酒場に、ゾロは居た。
薄暗い店内の奥のカウンターにゾロは座っていた。ただし、一人ではない。
彼の左脚の上に女が腰かけてゾロにしなだれかかり、嬌声を上げている。
ゾロの表情は見えないが、特に嫌がっている風でもない。
酒場の店主は珍しい若い女の客に目を上げ、「注文は?」と声をかける。
その店主の声に、ゾロの膝に乗った女が目を上げた。
たしぎと、女の目が合った。
赤いドレスの似合う、ブロンドの髪。ドレスと同じ色の真っ赤な唇。
この酒場の女なのだろう。彼女はたしぎの視線を辿りにっと微笑むと、ゾロに顎をしゃくった。
女の態度に、ジョッキを煽ったゾロがたしぎに振り返った。
動けずに立ちすくむたしぎの姿を確認し、ゾロは思わずジョッキをテーブルに落とした。
なんと間の悪い。
女を脚から退かせ、店主に代金を払うとたしぎの腕を引き店を出た。
店主と女はにやにやと彼らを見送る。
叩きつけるようにその扉を閉め、ゾロは舌打ちをしてたしぎに振り返った。
「何の用だ?」
バツの悪さでついつっけんどんな口の聞き方になる。
そもそも昨日の今日で遭遇する事は滅多にない。別に後ろめたい事はないが、何となく悪い事をした気になっていた。
それが尚更、ゾロを無愛想にする。
たしぎはすこし俯き加減にゾロの足元を見つめている。
彼が、女性に好かれるタイプの人だとは知っていたが、ああいう所を目の当たりにしたのは初めてだ。
気まずい沈黙。
ゾロはもう一度舌打ちをした。たしぎはそのゾロの様子に細く声を出す。
「・・・今日は、貴方の誕生日だから・・・。」
「ぁあ?」
誕生日。
頭からもうとうに忘れ去られていたその言葉を聞いて、ゾロは眉を上げた。
誕生日だから、会いに来たというのか。
「・・・アホらしい。」
つい、うっかり出てしまった言葉だった。思わず飲みこもうしたがもう遅い。
「すみません、下らない事で会いに来て。」
言い捨てると顔を背ける。ゾロは頭を掻いた。
「別に会いに来たのが悪いなんて言ってねェだろうが。」
ゾロの開き直りにたしぎはキッと目を上げる。
「お邪魔だったようですし。」
酒場の女の事だ。ああいった所の女が客に接する時のやり方はたしぎとて知っている。
しかし理解していても感情はついていかない。ゾロの態度が余計にたしぎを依怙地にさせていた。
「あのなぁ・・・。」
ゾロは何も言いようがない。勝手に会いに来て、勝手にふて腐れる。
女なんて面倒臭い。
「俺の誕生日がお前に何の関係があるんだ。付き合ってられるか。馬鹿馬鹿しい。」
その言葉にたしぎはきゅっと唇を噛んで、くるりとゾロに背を向けた。
「すみませんでした。帰ります。」
こんな風になる為に、来た訳じゃないのに。
たしぎは足早に歩き出した。
関係ない。確かに、ゾロの生まれた日は、たしぎと何の関係もない。
来なければよかった。誕生日なんて知らなければよかった。
ゾロに言われた言葉が悔しくて、辛くて、たしぎはただひたすら船を目指した。
思わぬ状態になり、ゾロは小さくなるたしぎの背を、見送っていた。
何だと言うのだ、突然やって来て。
唇をきつく結び、腕を組む。
関係ない。自分でさえ忘れていた物を、何故たしぎが気にするのか。
おかげで妙な所を見られた上に、勝手に怒り出して背を向ける。
正に踏んだり蹴ったりだ。
ゾロは一つ大きく息をつき、自分の短い髪をくしゃくしゃと掻いた。
面倒くさいし、鬱陶しい。それなのに。
大きく一歩を踏み出し、そのまま大股にたしぎを追う。
たしぎの後ろ姿は、すぐに目の前に迫った。
「おい!」
たしぎはゾロの声に驚いて振り返る。少し赤くなったたしぎの双眸。
泣かせてしまうところだった。
たしぎは困惑したゾロの視線に気付き、目を伏せる。まさか、彼が追って来るとは思わなかった。
こんなに下らない事で、本気で落ちこむ自分が悔しい。
そしてその自分に戸惑うゾロが哀しい。
二人は往来で向かい合い、立ち止まった。どちらも、何も切り出せない。
「面倒くせえな・・・。」
しばしの沈黙の後、ゾロの呟いた低い言葉。本心だった。
たしぎは俯いて唇を噛む。泣いては駄目だ。こんな事で、傷付いていたら彼を追う事なんて出来ない。
そのたしぎの様子にゾロは内心で頭を抱えていた。そもそも、女をどう扱えばいいのかなど彼は知らないし、気にした事もない。
笑っていて欲しいと思うが、どうすれば笑うのかは分からない。
ゾロは、困っていた。
何か言わなくては、と口を開きかけたその時。
「ロロノア・ゾローっっ!!」
大勢の人間から名前を呼ばれ、ゾロは振り返った。
何やら異様な集団がこちらへ向かって走ってくる。海軍!海兵達が群れをなして何かを叫びながら突進して来る。
通りを去来する人々は何事かと彼らを避け、逃げ惑う。
こっちの方が楽だ。あからさまにホッとしながらゾロは刀の柄に手をやった。
「たしぎ曹長を返せぇ!!」
「何?!」
一瞬面食らった。たしぎもその海兵達の声に振り返ると呆然と目を見開く。
少なくとも30人以上はいる。
一体何が起こっているのだ?
ともかく。振りかかる火の粉は払わなくてはいけない。ゾロはその海兵の団体に向かって抜刀しかけた。
「だめ!!」
その腕にたしぎが縋り付く。ゾロは後ろへ引かれ、バランスを崩しそうになりながらもたしぎと自分を支えた。
「何だ!!」
「斬らずに逃げて下さい!お願い・・・。」
海軍兵士達はすぐそこまで迫っている。ゾロはたしぎと彼らを見比べ柄から手を離した。
「勝手な事ばかり言いやがって!」
ゾロの怒声に、たしぎは少し眉を寄せる。
「ごめんなさい、ロロノア。」
たしぎは自己嫌悪に押し潰されそうだった。勝手に船を抜け出し、仲間に、そしてゾロにも迷惑をかけた。
それについては何かしらの処分を受けなくてはならない。覚悟もしている。
何よりも自分を突き動かした要因がゾロに対する想いである事が分かっているだけに辛い。
彼女は殺到する海兵達を説得する為にゾロの前に出た。
途端に、ふわり、と足元が地面から離れる。
「な?!」
「勝手に会いに来て、勝手に怒って、勝手に帰るな!」
耳元に響くゾロの声。軽々とたしぎを肩に担ぎ上げると、ゾロは海兵達に背を向ける。
「逃げりゃいいんだな?」
その姿に海兵達が罵声を飛ばす。
「あ〜っっ!!曹長に触るな、コノヤロー!!」
「曹長!!今行きます!!」
肩に担がれたたしぎは、やってくる海兵達と真向かいに向かい合った。ゾロの後頭部と仲間の海兵達を
交互に見て、ごくりと息を飲む。
「どうする?」
振り返るゾロの意地の悪い表情。たしぎはゾロのシャツの背中をぎゅっと掴み、海兵達に情けなく叫んだ。
「皆さん、ごめんなさい〜!!すぐに帰ります!」
「よし!」
たしぎを担ぎ上げたまま、ゾロは走り出した。瞬く間に追ってくるたしぎの仲間達が小さくなる。
「そ、曹長〜〜!!」
「ロロノア・ゾロぉ!曹長を離せぇ!!」
諦め切れずに追いすがる海兵をゾロの脚力はみるみる引き離す。
「どうして・・・!」
その肩に荷物の様に担がれたたしぎはそこから落ちない様に必死にゾロの背にしがみ付いた。
「面倒だって言ったのに、どうして連れて行くんです?!」
「面倒くせぇよ!こんな目に合うしな!」
ゾロは抱えたたしぎが落ちないように人々の間を擦り抜け、まだ走り続ける。
「面倒くせぇが放っとけねぇんだよ!」
たしぎは揺れるその肩の上でゾロの頭に目をやった。
先刻までの沈んだ気持ちが、そのたった一言で嘘の様に晴れ渡ってしまう。
すれ違う人々が皆、驚いたように二人の方へ振り返る。
何だか、くすぐったいような、照れ臭いような、それでいて楽しくて。
この、ゾロの逞しい肩の上の居心地が良くて。
たしぎを支える手が暖かくて。
背中からたしぎの堪えた笑い声が聞こえてゾロは走りながら目を上げた。
泣いた烏がもう笑った。
「なぁに笑ってやがる。」
「ご、ごめんなさい。」
たしぎの笑い声。ゾロもその声に口元を綻ばす。
「落とすぞ!」
「きゃあ!」
ぱっと手を離され、たしぎは慌ててまた背中に抱き付いた。ゾロの意地の悪い仕打ちに背中を叩く。
追ってくる海兵達の姿はもう見えない。
それでも二人は笑いながら通りを走り抜けた。
既に陽は赤く染まり、夜が訪れようとしている。
通りの外れまで来て細い路地に入りこむと、ゾロはたしぎをなるべくそっと下ろした。
たしぎはその特等席から名残惜しげに降りると、一つ息をつく。
大変な事をしてしまったのかも知れない。少なくともスモーカーの鉄拳制裁は覚悟だ。
でも。
彼女を見下ろす、ゾロの顔。
少し眉を上げて目で問う。
言いたい事があるから、今日ここまで来たのだ。
「ロロノア。」
たしぎは少し首を傾げて考え、言葉を紡ぐ。自分の気持ちを率直に言葉にするのは難しい。
ゾロは性には合わないが腕を組み、根気よく彼女の言葉を待っている。
たしぎは自分の頭の中でどうにかまとめながら口を開いた。
「あの・・・、生まれて来てくれてありがとうございます。」
「あ?」
あまりに在り来たりな言葉に、言ったたしぎが赤面する。
「え、と。つまり、私と出会ってくれた事を感謝します。」
貴方が生まれた日。
そして貴方が今、ここにいてくれる事。
私の前を走っていく姿。剣で渡り合い、そして力強く抱き締める。
貴方が居てくれて、嬉しい。─
たしぎは口篭もり、顔を真っ赤に染めて下を向いた。
「で?」
ニッと笑みを浮かべ、ゾロは困り果てたたしぎの顔を覗き込む。
たしぎはもう一度顔を上げ一度唇を強く結ぶと、近付いたゾロの頬に唇で軽く触れた。
「誕生日、おめでとうございます・・・。」
消え入りそうな声で耳元に囁く。
ゾロはその感覚のこそばゆさに照れ臭くなり、たしぎに顔を見られないように彼女の腰を抱いた。
誕生日など、忘れていた。
ただ年齢が積み重なって行く単なる節目でしかない。しかし・・・。
「悪かねえな。」
ゾロの笑みに、たしぎも微笑み返す。
そして目を閉じ、二人の影は夕景の中一つになった。
終わり。