No.214/螢様


『偲夏【しか】の花火』


 アラバスタへ向かう航路を進む中、物資調達の為に次に寄る島でフェスタが開かれていると
麦わら海賊団のクルーが知ったのは、寄港予定日前日の夕食の時だった。
「その街では残暑の最後の日にフェスタが開かれて、それが終わると秋がくるんです。このまま行けば、
多分フェスタ当日に着くんじゃないかと思うんですよね」
 かつてその島に寄ったことのあるビビが言う。
「祭りか〜っ! うめえもん食えるかなあ」
「集まった皆にウソップ様の華麗なる海の戦闘について語ってやんないとな」
「参加してる美しきレディたちに愛のレシピを教えてさしあげないと」
「催し物とかってどんなのがあるのかしらね」
「フェスタって初めてなんだ。ワクワクするなあ」
 それぞれがまだ見ぬフェスタに期待に胸を膨らませる中、ゾロは一人、興味無さそうに頬杖をついていた。
「ミスター・ブシドーは船を降りないんですか?」
「ああ。面倒そうだから」
「フェスタでは、お酒が飲み放題だった筈ですよ」
 ビビのその一言で、ゾロはあっさりと降りる決意をした。


 島に着いたのは、翌日の夕暮れの押し迫った時刻だった。
 太陽が沈み切っていないというのに、空には大輪の花火がいくつも打ち上げられている。
ビビの言葉どおりフェスタ当日だというのは、一目瞭然だった。
 港からすでに人でにぎわっていて、あちらこちらから、陽気な笑い声が響いてくる。祭り特有の明るい喧噪。
 ゴーイングメリー号から下船した麦わら海賊団一行は、ログが溜まる翌朝まで自由行動となった。


「ビビの言った通りだったな」
 ニヤリと嗤いながら、ゾロが独りごちる。
 事実フェスタでは酒は飲み放題だった。酒場の前を通るたびに店の女からジョッキを渡され、上機嫌で街をそぞろ歩く。
 だが、その上機嫌も、前方から歩いてきた女性の姿で一気に吹き飛んでしまった。
 夭折した親友が、そのまま成長したかのような容貌を持つ女性。あれは……。
 ───くいなのパクリ女じゃねえか。
 心中で舌打ちする。
 面倒事にかかわるのはごめんだと、きびすを返そうとしたが、運悪く相手に気付かれてしまった。
「ロロノアッ?」
 ゾロが言うところのパクリ女──たしぎは、咄嗟に身構え、
「勝負ですッ!」
と叫ぶ。だが、腰に手をやった途端、困りはてた表情になる。
「時雨……軍に置いてきてしまいました」
「……何やってんだよ、おまえ」
 呆れた口調でゾロが言うと、たしぎはしゅんと項垂れた。
 彼女の説明によると、今夜は非番で、かつ街でフェスタがあるということもあり、上官であるスモーカーから、
海兵という身分を忘れて楽しんでこいと言われたのだそうだ。その為にジャケットも時雨も身につけないで来たのだという。
「……で、これから何処の催しに行くつもりだったんだ?」
「特には……。ちょっとフェスタの雰囲気を味わって、それからすぐに帰ろうかと。あんまり人込みって得意じゃないんで……」
 たしぎが話している途中で、5歳くらいの子どもが何かの詰まった紙袋を持って二人の脇を通り過ぎた。
紙袋からは、棒がいくつも出ている。
 たしぎは何げなくその子が走って来た方向を見やり、そのまま導かれるかのように視線の先にあったところへと進んだ。
 そこは花火専門の小さな露店だった。
「うわぁ……」
 たしぎが感嘆の声をあげる。
「小さい頃にやって以来ですっ」
「俺もだ」
 たしぎの後ろから露店をのぞき込み、あまり表情を変えずに言うゾロだったが、それでも顔がほころぶのを否めない。
たしぎに少女時代を思い出させるこの代物は、ゾロにとっても少年時代の思い出の品だった。
「これロケット花火だろ? こっちはネズミ花火か」
「ロロノアの育ったところでも同じものがあったんですね」
「ああ。ある時、ネズミ花火やったら、火ぃ点けたのにしばらく音がしなくてな。不思議がってみんなで覗き込んだら、途端に
バンッて弾けたんだ。お陰でその夜、耳がずーっとボーッとしてた」
 少年時代を思い出してか、普段ならほとんど無口のゾロが、いつになく多弁になっていた。その脇でたしぎが
おかしそうに声を立てて笑っている。
 彼女がゾロに笑顔を見せるのはローグタウンの武器屋以来なのだが、お互いそれに気付かない。
そのくらい今の二人の間に流れる空気は、まるで昔からの友人同士のように自然だった。
「こっちは線香花火ですね。なつかしい」
「そんなになつかしいなら、買ってってくんないかい? ライターもおまけにつけてあげるからさ」
 あと一押しで購入しそうだと踏んだのか、香具師【やし】の男がたしぎに向かって商売を始める。たしぎは残念そうに肩を落とした。
「やりたいのはやまやまなんですが、でも……この年で一人で花火やるっていうのもちょっと……」
「何言ってんのさ。隣に男前のお連れさんがいるじゃないか」
「あの、私たち、そういうのでは……」
「照れない、照れない。判ってるって」
 言いながら、香具師は勝手に袋に花火を詰め始める。
「え……でも、あの、やりたいけれど……本当に一人なんで……」
 おろおろするたしぎの横から、ぶっきらぼうな低い声が響いた。
「まあ、久しぶりに花火をするってのも悪くはねぇな」
「本当ですかっ?」
 途端にたしぎがぱあっと顔を輝かせる。
「ああ」
 片方の口の端を軽く上げるゾロ。それはいつものシニカルな嗤いではなく、いたずら小僧の笑み。
実はゾロ自身も、やりたかったのである。


 しかし、やると言っても、問題は場所だった。人で溢れかえっている街なかでは到底やれそうにもない。
 じゃあ、とたしぎが口を開いた。
「砂浜でやりませんか? ここの近くにあるんですよ」
 確かにそこなら他人の迷惑にはなりそうになかった。
 踊っている人々や酔っ払いの脇をくぐり抜け、街を後にする。
 乱立する木々の間を通り抜けると、もう砂浜だった。
 そこにはたしぎとゾロ以外の人間の姿はない。
 街の方角から、ドォンと打ち上げ花火の音が響き、波打ち際のさざ波の音がそれにかき消される。
 たしぎはまず、棒状になった花火を紙袋から取り出した。ライターで火をつけると、シュッ…と火花が飛び出す。
まるでシャワーの様だ。青や赤や黄の美しい光のシャワー。
「……綺麗」
 嬉しそうに目を細めて、たしぎがつぶやく。
「ね、そう思いませんか? ロロノア」
 ふとこちらを向いた顔が、かつて見知っていた親友のそれに重なる。
“ね、そう思わない? ゾロ”
 時間が過去にスリップしたような錯覚を覚えて、ゾロは我知らず破顔する。
 いたずら心が鎌首をもたげ、自らも花火を点けるとわざとたしぎに向かって火花を向けた。
もちろん、彼女が火傷しないように注意しながら。
「んな……っ、何するんですかっ。危ないじゃないですかっ」
 真面目な顔で、後ずさるたしぎ。反応すれば反応する程からかいたくなって、さらに振り回わす。
「だったら私もっ!」
 やられっぱなしでは気が済まないのだろう。たしぎも反撃に出る。
「げ、両手に持って振り回すのは反則だろうがっ」
「あなたに言われたくありませんっ」
 風向きが変わり、煙がもろにたしぎの顔に直撃して、彼女は涙を流した。それを見たゾロが笑っていると、
今度はゾロが煙を吸い込んで咳が止まらなくなり、たしぎが天罰と指をさして笑う。
 無邪気に笑い合う姿は、海兵でも海賊でもない。
 二人の心は完全に子どものそれへと戻っていた。


「次はこれにしようぜ」
 言いつつ、ゾロが袋の中からネズミ花火を取り出した。
「あの時みたいにすんげぇ時差があったりしてな、くいな」
 笑いながら火を点け、ぽんと砂浜に落とす。無論、時差などはなく、砂浜につくかつかないかのうちにネズミ花火は
シュルシュルと回りながら火花を散らした。
「……さっきの話の時、私に似た顔の人も居たんですね」
 足元で回り続ける花火を見ながら、ただ確認するようにぽつりとたしぎが言った。
 ゾロの顔から笑みが消える。
「親友ですものね。一緒に遊ぶの当たり前ですよね」
 ふふ、とたしぎが微笑む。寂しそうなそれだった。
 あからさまに間違えたのだ。怒ってもいい筈なのに、だが、責めることすらしないことで、ゾロは深い罪悪感にさいなまれる。
 確かに顔の形は似ている。でも、だからといってたしぎはくいなではない。面影を重ねるのはこちらの勝手だが、
それを押し付けられた方は人格を否定されているのとまるきり同じだ。
 ──思えば、パクリ女だのなんだのと、結構ひでぇこと言ってたな。こいつはこいつだってのに……。
「……すまねぇ」
 ゾロは目を伏せがちに俯いた。
 その時だった。
「面っ!」
 言葉とともに、火の消えた花火の棒がゾロの額に軽く打ち付けられる。
「一本取りました。和道一文字、回収させていただきます」
「てめぇ……」
 人が真面目に謝ってるってのに……。
 ギロリとゾロが睨む。
「油断大敵っ」
 たしぎは声を上げて笑っている。
 これでチャラ。
 彼女の笑みは、そう言っているかのようだった。ゾロの憮然とした表情が、苦笑に変わる。
 ──ありがとよ。
 心の中で感謝する。
 しかしその一方で、笑顔は崩さないものの、じーっと刀を見詰めているたしぎの姿に一抹の不安を覚える。
「ま、確かに一本取られたが、刀はやれねえぞ」
 ゾロの言葉に、残念そうに口をとがらせるたしぎ。
 ……やっぱりちょっとは本気だったんじゃねえか、こいつ。
 あなどれない、とゾロはたしぎに対する認識を新たにする。
 だったら、とたしぎが代替案を出した。
「ロケット花火に火をつけてください。ロロノアが負けたんですから」
 ゾロに向かって差し出されたたしぎの掌には、ライターと筒状の花火が乗っている。
 それを、彼は何も言わずに受け取った。


 砂浜にロケット花火をセットし、点火する。
 しばらく経った後、ヒュッと青白い光が空に上がり、破裂音と共に火花が散る。夜空に輝く白や赤の花。
「街でやってるのよりは迫力ねえなぁ」
 打ち上げ花火とロケット花火とを比較して、ゾロが当然といえば当然のことを言う。
 対してたしぎは、でも綺麗ですよ、とつぶやいた。
「それにすごく贅沢です。だってこれを見てるの、世界中で二人だけなんですよ」
 思ってもみなかった台詞に、ゾロは軽く目を見開き、横にいるたしぎを見やった。
 そしてもう一度、視線を空へと移す。
「……それもそうだな」
 花火が終わってもそのまま夜空を見詰め続け──やがて、ゾロはぽつりと言った。
「もう一つ上げるか、ロケット花火」
「はいっ」
 たしぎが満面の笑みを浮かべて頷いた。


 さまざまな種類の花火をしながら、嬉しそうにはしゃぐたしぎ。ゾロもやけに陽気になっていて、それは決して
酔いが回ったからではないことに気が付いていた。
 この時間がずっと続けばいいのに……。
 互いにそう切実に願うのだが、無情にも花火は尽きてしまう。
 最後の一本は線香花火だった。
「おまえがやれよ」
「いえ、あなたが」
 お互いに譲り合いを繰り返す。どちらがやるか、このままでは一向に決まりそうになかった。
 そこでたしぎがひとつの提案をした。
「じゃあ、一緒にやりませんか?」
 返事の代わりにゾロは線香花火の紙縒り状になっている部分の下の方を持ち、上の方をたしぎに向けた。
たしぎは小さく頷き、そっと差し出された部分をつまんだ。
 二人で砂浜にしゃがみ込む。
ゾロが火を点けると先端に火玉ができた。赤く丸い、南天の実のような火玉。
 細い火花がパチパチというあえかな音とともに弾ける。
 二人は何も言葉を交わさず、ただひたすら、細くかすかな光を見詰め続けていた。

 やがて───最後の火が消えた。

「……終わっちゃいましたね」
「……ああ」
 それきり、会話は途切れた。
 いつの間にか打ち上げ花火の音もしなくなっていた。フェスタは終わったのだ。
 それまでの陽気さは姿を隠し、代わりに静けさが纏わり付いてくる。
 子どもの頃に戻った様にはしゃいでいた分、大人になってしまった自分に急に気付かされ、何とも言えない心もとなさが支配する。
 身体だけ成長してしまった二人の大きな子どもは、途方に暮れたように、ただしゃがみこんだままでいた。
 果てのないような無言【しじま】の中で穏やかな波の音だけが、唯一の音だった。
 海面に映った三日月が、潮の満ち引きで頼りなげに揺れている。


 しばらくして、たしぎがすっくりと立ち上がった。
「……この島の夏も、もう終わりなんですね」
 もっとも、私たちには季節なんて関係ないですけれど。
 暗い海を眺めながら、ひっそりと笑う。
 そこには、子どものような無邪気さは、もう、ない。
「……そろそろ、帰らないと」
「そうだな……」
 内心の名残惜しさを隠しつつ、ゾロも立ち上がった。
「あの……ロロノア?」
「ん?」
「あの……もしも、なんですけれど……」
「何だよ」
「もしも……今度、夏島で逢ったら、またやりませんか? 花火……」
 たしぎが俯きながら、おずおずと訊ねてくる。
 普段なら“ばっかじゃねえのか、おまえ”と言ったことだろう。“おまえと俺は追う者と追われる者なんだぞ”と。
 だが、口から出た言葉は違っていた。
「ああ」
 たしぎはほっとした表情になり、
「じゃあ、指切り」
と小指を出す。その小さな指にゾロは自分の小指をからめた。
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本、飲−ます。指切った」
 たしぎが唄いながら手首を振り、そして小指を放す。
 バイバイ、またね。
 まるでそう言っているかのようだった。子ども同士の別れ際そのままに。
 たしぎはくるりとゾロに背を向けると、振り返りもせずに歩いていく。
 花火を楽しんでいた小さな子どもから、海軍曹長へと一足ごとに変わっていく背中。
 年を経て、背負うものが多くなり、徐々に身動きが取れなくなる。多分それが、大人になるということなのだろう。
 実際に次に出逢った時、そしてその場所が夏島であったとしても、今の約束が果たせるかどうかは謎だ。
互いの立場が立場なのだから。冷静に判断して、斬り合いになる可能性の方が高い。
 それでも、願わずにはいられない。
 また、同じように花火を楽しみたい、と。
 立場も肩書も関係ない頃の気持ちに戻って、屈託なく笑い合いたい、と。

 またな。

 去って行くたしぎの後ろ姿を見ながら、ゾロは心中でつぶやく。

 夜空には薄い三日月が、仄かな光を放っていた。

 

- 終 -


*タイトルの『偲夏』とは、過ぎ行く夏に思いをはせるという意味をを込めて作者である螢が考えた造語であることをお断りしておきます。