No.11/彩瀬柚乃様


雨のかけら


世界には三人同じ顔の人間がいるという。

だが、ありゃ、似すぎだ。
くそうっ。



透き通るような青空の下、ぽかぽかとした陽気は、なんとも心地よい空気を運んでくる。
撫でるように吹く優しい風と空に浮ぶ綿菓子のような真っ白い雲は、騒ぐ子供も
寝かし付けるように、穏やかにゆったりと流れていた。
港ではない海岸に停泊する一隻の海賊船。だが、船からはなんの物音せず、緩やかな波まかせに揺られている。
いつもの、どたばたとした騒がしさは、微塵も感じられない。
それもそのはずだろう。
ルフィとウソップは、甲板に大の字でお昼寝中。
ナミも彼女専用のデッキチェアに腰掛け、パラソルの影で夢の中。
サンジは、ナミの側で腰を下ろし、静かに煙草をくゆらせている。
ビビ一人が、気を紛らわすために散歩に出かけていた。
時がゆっくりと気を満たす、なんとも贅沢な時間。
そんな中で、壁にもたれ、爆睡していたゾロが大きなあくびと共に目を覚ました。
「んん〜〜…あん?」
寝付きもいいが寝起きもいい方なので、寝ぼけてはいないのだろうが、一度伸びをして
立ち上がる。そして、何よりも先に、三本の刀を佩刀し直すと、ぐるりと首を回した。
そんなゾロに、声を殺したサンジの低い文句が飛ぶ。
「回り見ろよ。ナミさんはまだ寝てんだろうが。静かにしろ」
てめェの方が、静かにしろよ、と言い掛けたが、それも馬鹿らしくなって、
ヘイヘイと態度で返えすと、無言のままひょいっと船から下りた。
船上から、またサンジの声がする。
「どこ行くんだ?」
「どこでもねェよ」
「ビビちゃん見かけたら、戻るように言ってくれ。もうすぐお茶の時間だ」
「見かけたらな」
一切、気のないセリフで適当に流すと、サンジはどうやら引っ込んだらしい。
ゾロもすでにビビへの伝言も忘れて、一人街の方へ歩いていった。
特に行きたいところがある訳ではない。
何の目的もなく、本当にブラブラ歩いていたのだが、街の様子が、昨日までと
何か違うことには、足を踏み入れて程なく気付いた。
「なんだ?」
なにか、騒がしい。だが、嫌な騒がれ方ではない。喧嘩や事件があった訳ではなさそうだ。
思わず、近くにいたおじさんを捕まえて、聞いてみる。
「おい、オヤジ。何があった?」
すると、始め訝しむような目を向けてきたおじさんであったが、あんたも旅人かい?の言葉に、
あぁ、と頷くと、嬉々として、耳を疑うようなことを教えてくれたのだ。
ゾロは慌てて、踵を返した。
早足で船に戻りながら、大きく舌打ちする。
「ちっ……」
何度、苛立ちを吐き捨てたとしても、到底気持ちは収まりそうになかった。
それほどまでに自分の中の動揺が分かってしまう。
『海軍の船が港に停泊してんだよ』
おじさんに言われた言葉が、いつまでも頭に残る。
「くそうっ」
どこの海軍と、はっきり聞いた訳ではない。あの女とは、まったく関係のない
海軍かもしれない。それでも、なにか、直感的なものがあった。
自分の中の気付いてはいけない気持ちが、ひどく疼く。込み上げてくるものが、
一体何に対しての苛立ちかも分からないまま、とにかく船に戻ろうと急いだ。
が。
「???」
海に出たというのに、辺りを見回しても、ゴーイングメリー号の影かたちすら見当たらない。
一応、記憶を頼りに戻ってきたのだが、どうやらまったく別の場所に出たようだ。
ここはどこだ?と首をひねってみても、ナミの説明をろくに聞かず、この島名すらも
知らないゾロには、地理など分かる訳がない。
「くそっ、迷った」
あっさり迷子宣言をすると、ゾロは頼りにならぬ自分の勘を頼りに海岸線を歩き出した。
だが、やはりどこまでも、天然迷子。二分の一の確率にもかかわらず、
見事に船とは逆方向へ進んでいる。
だが、細かいことを気にするゾロではない。
方向が違うのではないか、などという疑問は持たず、ただひたすら歩いていた時である。
数メートル先の木陰に、なにやら人影を見つけた。
思わず、ルフィたちかと思い、足取り軽く近づいてみて、ゾロは愕然とした。
逃げも隠れもしないが、あまりの驚きのために、一瞬、足が動かなくなる。
「……なんなんだ、一体」
心の中で、最大級の舌打ちをした。
そう。目の前の木陰で、木にもたれながら、すやすやと安らかな寝息を立てて、
お昼寝の真っ最中なのは、だれでもない、あの、雨の日に別れた、たしぎ、その人だったのだ。
自分があの顔を見間違える訳がない。
ゾロは、やっと方向を間違えたことに気付いて、すぐに踵を変えそうとした。
ここにいて、この女が目覚めたらそれこそ面倒だ。
早く、戻らなくては……。
「……」
足を反転させようとした一瞬、たしぎの顔に目が止まる。見てはいけないと、
自分に言い聞かせておきながら、自然と目が追っていた。
「……」
「……」
「………」
「…………」
口を開かなければ、余計にくいなにそっくりだ。メガネも掛けておらず、目も閉じていれば、
くいなが寝ているといわれても、自分は素直に頷くだろう。
穏やかな陽気に包まれている所為か、幸せそうに眠っている。
一歩近づいてみたが、起きる気配はない。
海軍曹長が、こんなにも簡単に隙を見せていいものか、と非難されるべき事かも
しれないが、今のゾロにとっては、そのトロさがひどくありがたかった。
なんとなく、気持ち良さそうな寝顔から、視線を外せないでいる。
そして、ゾロは、この空気がとても心地の良いものであることに、嫌でも気付かされた。
時が止まればいいと思う。
大剣豪にはなる。その夢のためには、立ち止まってなどいられない。
だが。
だが、それでも。
この一瞬だけ、たしぎが穏やかに自分の前で眠っているという、この一時だけは、
いつまでも続いて欲しいような、そんな想いが頭をもたげた。
少し痩せたような気がする。
それは、あのローグタウンでの姿、というよりは、昔のくいなに比べて、と言った方が正しいのかもしれない。
それでも、だらりと地面に垂れ下がった手の平には、刀のマメやタコが一面に出来ており、
皮膚の色も変わっている。おそらく、自分と同じように、もう硬くなって、ゴツゴツしているのだろう。
少なくとも、ナミやビビのような女の手ではない。
剣士の手だ。
「……」
ゾロは、すぐ側にしゃがむと、そっとたしぎの前髪をかきあげた。
起きるかと心配したが、少し身じろいだだけで、気付いた様子はない。
剣士だったら、どんな時でも敵を近づけるなよ、と小さく苦笑いしながら、その額に、そっと口付けた。
少し強い風が吹いて、木々をさわさわと揺らす。
一時、この世界に自分たち二人しかいないような、錯覚に捕らわれる。
なんとなく物足りなさを感じて、ゾロは、僅かに戸惑いながらもゆっくりと、
紅の塗られていない唇に触れた。
軽く重ねただけで、すぐに離す。それだけなのに、自然と顔が赤らんできた。
だが、そんな自分が未熟に思えて、内心しかりつけると、たしぎの顔をじっとみる。
この寝顔を守りたいと思う。
だが。
くいなではない。
顔はそっくりでも、はっきりとそう言える。
それでも、側にいると自分が安心できる、そんな気がする。
寝ていることをいいことに、船に連れていったら、どうなるだろう。無理矢理船に乗せて……
そこまで考えて、自分の阿呆さ加減に、思わず笑った。
たしぎには夢がある。
自分にも。
それは、決して、他人に左右されるものではない。そんな生易しいものでもない。
自分の勝手で、この女の夢を摘むことは出来ない。
たしぎには、常に前を向いていて欲しい。
武器屋でのように、いつも笑っていて欲しい。
そう思う。
未練を断ちきるように、勢いよく立ち上がった。たしぎは、相変わらずスヤスヤと眠っている。
「またな」
小さく笑い掛けると、ゾロは来た道を戻り始めた。


途中、散歩中のビビと出会い、ようやく船にたどり着いた。
日は、すでに沈みかけていた。

 

- 終わり -