No.45/十夜様


= 早春 =


(取ったっ!!)
 ロロノアの振り下ろした竹刀の先を交わした私は、そう思いながら彼の小手を狙った。
 けれど次の瞬間には小手は鍔で軽くいなされ、逆に持っていた竹刀を跳ね上げられての胴を取られてしまう。
「これで決まりだな。」
 ロロノアは私の横胴に打ち込む一歩手前で竹刀を止め、口の端を持ち上げて軽く笑った。

ロロノアに稽古をつけてもらうようになって、これで0勝99敗目。まだ1勝もできない。
私の夢は、少しでもこの腕を磨いて悪に渡ってしまった『名刀』を回収すること。その為には、まず目の前にいる、この大きな壁を超えなければいけないのだけれど・・・。
(・・・目指すところは、遠いですねぇ・・・。)
私が軽く息をつくと、ロロノアは構えていた竹刀を下げ、「疲れた。少し休ませてもらう。」と言って、道場の片隅にあるストーブの前に腰を下ろした。
(本当は疲れていないんでしょうに。)
 壁にもたれ掛かって竹刀の弦を引き締めなおす彼の姿を見ながら、私も彼の隣に腰を下ろした。
 2月の道場は小さなストーブひとつでは補いきれないほど極寒だというのに、今の打ち込みで私の額にはうっすらと汗が浮かんできていた。それなのにロロノアは、汗どころか息ひとつ切らしていない。まだまだ余裕がある。むしろ疲労しているのは私の方。
 でも稽古の途中で休憩を求めるのは、今日だけではなく、いつも必ず彼の方からだった。
(私の身体を気遣って・・・。そういう言い回しが、あなたらしいですね。)
 彼の無骨な思いやりに、思わず口元がほころんでしまう。

「・・・何、独りで笑ってんだ?」
 いつの間にかロロノアは、視線を竹刀の先から私に移していたらしい。
「えっつ!? わらっ・・・笑ってなんかいませんよっ!!」
 慌てて取り繕ってみたものの、我ながら怪しいと思う。ロロノアも「おかしなヤツだな」というように怪訝な顔をしていた。
「まぁ、どうでもいいけどよ。汗ちゃんと拭けよ。身体冷えるぞ。」
 そう言うと彼は横に置いてあったタオルを取り上げ、その大きな手で私の頭にすっぽりと被せた。
「はっ、はい。」
 彼の手に少しどぎまぎしながら言われるままにタオルで汗を拭きつつ、また竹刀に視線を戻した彼の姿を目で追った。
 高い上背、広い肩幅、鍛えられた腕や胸、そして安定した足腰。 ――― この全てが剣の道を極めるには欠かせないもの。
オンナの私がどんなに鍛錬を積んでも限界があるものを、彼は・・・いえ、彼ら「男性」は、その多くを生まれつき備えている。

 そんな風にロロノアの横顔を見つめながら、ふと思い出すひとつの言葉。

『オトコに生まれたかった』――― 。

 小さな頃から私の心の中に、いつも燻っていたその言葉。
何となく男の子たちの自由奔放さに憧れて漠然とそう思っていたけれど、初めて強く願ったのは、やはり剣の道に進んだ頃だった。

 刀剣の鑑定士だった父の影響もあってか、物心がつく頃にはすでに『名刀』と呼ばれる刀剣たちの美しさに惹かれた私が、次第に剣術そのものにも惹かれて行くのにたいして時間はかからなかった。
 剣術を習いたての幼い頃は男女の差など大して感じず、むしろ同年代の男の子達よりも自分の 方が強かったと思う。けれど、その差は成長期に入ると瞬く間に追いつかれ、そしてあっという 間に追い越されてしまった。
 彼らが片手で事も無げに振り回す大ぶりな重量感ある剛刀は、いくら私が男の子なみの鍛練を積んだところで、この小さな掌ではそれを扱うどころか、その太い柄を両手で握ることさえままならない。
(どんなに強く望んでも「オンナ」の私には限界があるのだろうか・・・。)
『女の子にしては、強い。』
 その言葉を聞くたびに、『女の子にしては』という部分を苦々しく思っていた頃、女に生まれた自分が嫌だった。
 だからかもしれない。ただひたすらに剣術を極めて強くなりたいと思っていた。
 いつか、『強い』の一言だけで称してもらえるように。
 それから、腕力では男性に敵わない私は、小柄な身体を生かし相手の懐にすばやく入り込む戦術と軽い刀での瞬発力を高めた技を突き詰めていった。

 海軍に入隊する頃には、私の剣術に対する評価からすでに『女にしては』という言葉は消えていた。今では他にも優秀な男性がいるにも関わらず『曹長』という階級まで与えられ、私の願いは叶ったかにみえた。

 ・・・でも、私の中で『オトコに生まれたかった』という思いは消えることはなかった。

 実戦で、稽古で、男性ならではの力強い剣技を見る度に、剣術では負けないけれど、それを望 んでも自分では手に入れられないもどかしさをいつも感じていた。



(結局、羨ましかったんですよね・・・男性が。)
 私は、汗を拭き取り終えたタオルに顔を半分埋めつつも、目線だけはロロノアを見つめ続けていた。

 彼と刀を初めて交わした時も、やはり悔しい思いをした。
 三刀流の彼が、その時は2本しか使わなかった。それは彼にとって、明らかに私が『その程度』だと見なされていたからだと思う。
 彼が3本目を抜かなかった事に、その時の私はかなり激昂した。
(『絶対に3本目を抜かせて見せる!』・・・そう思って挑んだのに。)
 そうして自分の持てるだけの、いえ、それ以上の力を私は出し尽くした。それでも彼のすばやくキレのある太刀筋を防ぐのに精一杯で、結局は彼に『時雨』を弾き飛ばされ、勝負はついた。
(・・・あの時は、本当に悔しかったなァ・・・。 でも・・・。)
 悔しかったはずなのに、その勝負の後の事を思い出すと不思議と今でも可笑しくなる。
 敵として刀を抜いて勝負がついた後、トドメをさすことなくその場を離れようとした彼に、『女だからですか。そんなことで真剣勝負で手を抜かれるのは屈辱です。』と言い放った私。
 そんな私に彼は『死んだ親友を真似するパクリ女』と言い返してきて、その後はまるで子供のケンカのようだった。周りにいた海軍兵達も呆れるくらい。
(あの時のロロノアの顔・・・。本当に小さな子供みたいで、それまでの殺気など嘘のようでしたっけ・・・。)

 それから様々な事が何かとあって、『海賊 = すべてが悪』という私の見解は覆され、そういう考えはこの世界中に浸透しつつあった。
 それに連れて、私たちはこうして2人でいることが多くなった。

(今考えてみるとトンでもない出会いですよね。・・・でも、何故なんだろう、ロロノアと出会ってから、私、あまり『オトコに生まれたかった』って思わなくなった気がする・・・。)

 そう思っていると、隣のロロノアが私の顔を見ながら呆れたように言った。
「今度は百面相かよ?」
「百面相? 私が?」
 驚いて自分の顔に手を当てる。
「なにやら小難しい顔したかと思うと笑ってたり、そうしたら今度は考え込んでたり・・・どうかしたのか?」
 ロロノアに言われて、自分では気づいていなかったけれど、どうも思い出に浸って表情をコロコロと変えていたらしいことがわかった。
(うわぁ〜。恥ずかしいっ!!)
 思わず顔が紅潮した。そんな私の様子が可笑しかったのか、ロロノアが笑った。
「まぁ、見てて飽きねェけどな。」
「・・・ごめんなさい。ちょっといろいろ考えていて。」
「別に、謝るほどことじゃねェだろ。」
 ロロノアはそう言うと、今まで調整していた竹刀の具合を確かめるように、座ったまま軽く片手で素振りした。
 その竹刀の空を切る音の鋭さが、彼の腕の切れ味を表している。オンナの私では、なかなかこうはいかない。
「やはり、男の人は腕が強くていいですねぇ。」
 羨ましそうにそう言うと、ロロノアが少し険しい顔つきで振り返った。
「また、『オトコに生まれたかった』とか言うんじゃねェだろうな。」
 少しだけ自分の心の中を見透かされたような気がして苦笑いしながらも、私は首を横に振った。
「羨ましいなとは思いますけど、最近は『私は私』と思ってますから。」
 その答えにロロノアは、「それでいい。」と言って、更に言葉を続けた。
「『オトコ』とか『オンナ』とかは、問題じゃねェよ。強いヤツは強い。確かに、体力や腕っぷしは、オトコの俺とオンナのお前じゃ違うかも知れないけどな。技と気迫じゃ、お前は負けてねェよ。だから俺も、お前とやりあう時はいつも本気を出してる。」
 意外な言葉だった。
「本当ですか?!」
「当たり前だろ? 手加減してて稽古になるかよ。」
「それは・・・そうですけど。」
 私が口篭もると、ロロノアは驚いたように言った。
「おい、お前。まさか、今まで俺が手加減をしていると思ってたのか?」
 無言で頷くと、ロロノアは少し困ったように眉間を寄せ、それから軽く笑った。
「やれやれ・・・。俺もなめられたモンだな。」
「そっ、そんな事はっ、決してないですよっ!!」
 手と顔を、ぶんぶんと音がするほど思いっきり振って否定すると、ロロノアはまだ笑っていた。
 ひとしきり笑うと、彼は小さく呟いた。
「・・・けど・・・、俺はお前が『オンナ』でよかったと思ってるけどな・・・。」
「えっ!?」
 一瞬、彼の言葉の意味がわからなかった。
 そしてその次の瞬間、急激に自分の胸の鼓動が高鳴りだした。
(・・・私が『オンナ』でよかったって・・・、それって・・・もしかして・・・。)
「あっ、あのっつ、私が『オンナ』でよかった・・・というのは・・・。」
 私がその言葉を聞き返すと、ロロノアは顔をさっと赤らめて、その顔を私から背けた。
 それから、もっともっと小さな声でボソボソと私の問いかけに答えた。
「・・・っつ・・・べっ、別に、どーでもいいだろ。・・・おっ、俺はそう思ったんだよ。」
「!!」
 彼のその照れくさそうな声を聞いた途端に、今まで、凍てついた氷柱のように私の心の隅に刺さっていた『オトコに生まれたかった』という思いが、暖かい陽に照らされて解けてゆく様に感じた。
 と同時に、自分がロロノアに出会ってから、『オトコに生まれたかった』とあまり思わなくなった理由が、今ようやく鮮明になった。

(私・・・彼のこと・・・剣士として憧れているだけではなくて・・・一人の男性として『好き』なんですね・・・。多分、初めて出会った時から・・・。だから・・・。)

 ――― この日私は、生まれて初めて、自分が『オンナ』であることを本当に素直に喜べた。

「・・・ロロノア。」
 私が声をかけると、顔を背けていた彼がようやく私の方に振り向いた。
 その翠の瞳を見つめて言う。
「・・・私も、貴方に会って、自分が『オンナ』に生まれてよかったと思ってます・・・。」
「・・・。」
 ロロノアが、その瞳を少し丸くしたように見えた。

「・・・さてと! 私の方は充分休憩になりましたけど。どうです、もう一本お手合わせ願えますか?」
 私がそう言って微笑むと、普段と変わらぬ私の様子にロロノアもホッとしたようで「あぁ。」と短く答えて立ち上がった。
「次こそは、あなたから1本取って見せますからね。」
 腕まくりをしながら言うと、ロロノアはやはり余裕の笑みを口元に浮かべて、「できるもんなら、やってみな。」と言った。
「やってみせますとも。」
 そう笑いながら答えた。

 道場の中で再び竹刀を交える音が響く。

 今、肌に感じる空気はまだまだ冷たいけれど、それでも窓から差し込む陽射しは、日に日に柔らかくなっている。そしてそれは、私の『気持ち』の変化にも似ていた。

 暖かな『春』の訪れは、そう遠いことではなさそうで・・・。
 季節だけではなく、私とロロノアとのコトも・・・。

 

- FIN -