No.37/shiho様


死ぬな!


少女の苦悶を浮かべた白い顔には、明らかな死相といったものが表れていた。
ゾロは少女の腹部に滲むどす黒い赤みに腕が震えた。
少女の死相は、彼の子供の頃死に別れた親友との別れの顔とだぶる。元々、二人は驚く程によく似ている。
まるで親友くいなが死なずにそのまま成長したか、と思われる姿をしている。
ただ、ただ、少女が血を失っていくのに狼狽え、てきぱきと処置を加える仲間の船医チョッパーに呆れられている。
そういや、こいつの名前、何てったかな。
ゾロは少女を抱く腕に力を込めた。
頼む、死なないでくれ。おれはお前に言いそびれたことがある。
頼みから、もう一度おれにその減らない憎まれ口を叩いてくれ。



優秀な医師であるトナカイ、チョッパーの診断は、全治三ヶ月ということだった。
ゾロはほっと胸をなで下ろす。
大丈夫だ、こいつは、くいなじゃねえ。大丈夫だ、死なねえ。
チョッパーの腕は確かである。それは半分千切れかけていた、彼の両足の治療から見ても明らかだ。
悪魔の実である、ヒトヒト実を食べたが為に、人語を解し、優秀な知能を得たチョッパー。
幾度も共に死線を超えて来た仲間の言葉は普段のゾロなら疑いすら挟む事はない。
だが、今回だけはチョッパーのその腕を信じているのだが、不安は拭えない。
少女は未だ目を覚まさない。
海軍の船からこの海賊船へ移ったとは、本人もまだ気付いていないだろう。
気がついたら、どんな反応をするのか・・・
ゾロは柄にもなく、いくつもの不安に眉根を寄せた。
仲間、ナミやビビが交代で様子を見に来る。
だが、何度も彼女達がゾロを眠らせようと交代を申し出ても、がんとも動かない。
少女が傷付いたのはゾロ自身が原因だと思い込んでいるかのようだ。
真実は、違う。少女が戦場だということを忘れ、彼に掴み掛かってきたその瞬間、敵の銃弾が貫いたのだ。
だが、ゾロは仲間の言葉を聞かず、病室として使っている女性部屋を離れない。
ルフィがたまに冗談半分に骨付きの肉を片手に現われる事がある。
ウソップやサンジも、少女の血の気のない顔を見に現われる。
少女はまだ意識を取り戻さない・・・
チョッパーは点滴を替え、少女にまた何本目かの注射をその白い腕に打つ。 



半ば覚醒しながらも夢の中へ片足を突っ込んだかのような、どろりとした時間が流れる。
ゾロは少女の荒い息を聞きながら、少女との出会いを思い浮かべ、そしていつの間にか生まれた少女への熱い想いを自覚する。
こいつは、くいなじゃねえ。
それは、ゾロにとって自明の事実であると同時に、初めて知る事実だった。
少女は彼の「(くいなの)パクリ女」という発言に異様にこだわっていた。
それはこの偉大なる航路(グランドライン)で再会した時、初めて知ったことだった。
ゾロ自身は忘れ去っていた言葉。
ずっとゾロは亡き親友くいなと少女を重ねていた。くいなの成長した容貌を持ち、くいなと同じ言葉を吐く少女。
ゾロにとっては、今この時まで少女は亡きくいなの生まれ変わりだった。
だが、少女はくいなではない・・・
くいなでなくてよかった。
おれは、お前がお前であって、本当によかった。
きっとこっぱずかしくって、こんなセリフは一生少女に言う事はないだろう。
だが、ゾロは少女に言いたかった。
お前は、お前だ、と。
くいなは少年ゾロの親友であったが、目の前にいる少女は違う。
腕に抱く事ができ、そして愛を語る事もできる。少女はくいなではなく、他の誰でもないのだから。
ゾロは悟った。この少女を愛していると。
気付くと、少女の荒かった息は、安らかな寝息となっていた。
峠を越えたのだ。
ゾロは大きく息をつくと、四本の刀を抱えて壁に寄り掛かった。
少女の長いまつげが幽かに震える。
思わず身を乗り出す。
少女はその美しい双鉾を開いた。
ゾロの胸は震えた。
少女の乾いてひび割れた唇が震える。
「なんだ・・・」
ゾロは少女の口元に耳を寄せた。
かすかな声が言葉を結ぶ。
「ありがとう・・・」
少女はやや目尻が下がった瞳を細め、さらに目尻を下げた。
夢だろうか?
「お前、名はなんだ?」
思ってもみない言葉が口をつく。
「た・・し・・・」
「たしぎ、か」
声にならない最後の音も聞き漏らさず、ゾロはたしぎの名を呼んだ。
たしぎはもう一度瞳を細め、満足そうな笑みを浮かべてもう一度眠りについた。
その翌日、たしぎはチョッパーを安心させる。

 

- FIN -