No.48/やんばる様


決戦三十分前


やっぱり間違ってるんじゃないのか。
そう考え出すと止まらなくなっていた。

大体始まりが酷かった。
その経過はもっと酷かった。
お互いの立ち場も価値観も何もかもがかけ離れ過ぎていた。
それが終わったり、また始まったり、離れたり、ねじれたりを繰り返し、
本人達がぼんやりし過ぎなのと無頓着の権化なのをいいことに
業を煮やした周りのお膳立てはトントンと進み、気付いた時には終に
こんなところまで来てしまった。

流石に疑問に思う。
間違ってるんじゃないのか。
自分が、じゃなくて。
問題は向こう。
肝心の相手は自分と同じだとは限らない。
只でさえ、普段から、あんなだ。
状況に流されただけだったとしたら。
そういえば、そんな確かな言葉の一つも相手の口から聞いたことが
なかったではないか?

こんな土壇場になってやっと動き出す頭。
出会った当初から根強く残っていた不安は、今になって膨れ上がり
どっと吹き出した。
ここまで来て何を、と呆れ怒鳴る仲間の声を背に部屋を飛び出す。

すると廊下の端の部屋からも、同じ様に飛び出して来た影。
ありありと自分と同じ疑問を顔に浮かべた問題の当人。

今まで見た事のない格好をしている。
いつもとは違う。
妙な感じがする。
何だか、…こう。

そんなことを思いながら船内の狭い廊下を歩み寄り、間に数メートルの距離を置いて
お互い止まった。
しばらく睨み合ったまま無言で立ち尽くす。
先に口を開いたのは男。

「お前は俺の刀が欲しくて俺を追いかけて来たんだろう」
「そうです」

即答。
だって間違いではないもの。
聞いた男の目がわずかに座る。
女も口を開いた。

「貴方だって」
「あァ?」
「貴方だって私の顔が貴方の親友って人に似てるから気にしてただけでしょう」
「そうだ」

これも即答。
だって間違いじゃないからな。
聞いた女の口が歪む。

またしばらく重い沈黙が流れた後、
どちらからともなく長いため息が出た。

ああ、ほら。

やっぱり。

…何か自分は、とんだ勘違いをしていたのかも知れない。

相手が求めていたのは。

「…、馬鹿みたい」
「そうだな」
「貴方も早くに言ってくれれば良かったんです、そしたら、こんな」
「……お前もお前だ」

カチーン。

「んなッ!? 私のせいですかッ!?」
「それだけ話すくらいの時間はあったろう」
「だってその貴重な時間、貴方殆ど寝てた癖に!!」

カチーン。

「徹夜で出航して会いに行ってたんじゃねぇか、眠くなって当然だろうが!」
「いいえ、それでなくても貴方寝過ぎです、食べたら寝る斬ったら寝る、
 まともにお話出来る隙なんてありませんでした!」
「だったら起こしゃいいだろう」
「殴っても蹴っても起きないじゃないですかッ!!」
「てめぇ俺を殴って蹴ってたのか!?」

でも、側で寝顔を眺めてるのも。

「それを言うなら、私だって時間作るのは大変だったんです、いつ事件が起こるかも
 知れないし、任務をおろそかにには出来ないし」
「あァ、いつもクソ真面目に勤務時間ての守ってやがったよな」

そういうところが。

「じゃっ、じゃあ私が無理に休暇を取れば良かったんですか!? …それともさっさと
 軍を辞めてれば満足でした!?」
「海賊とか海軍とかは関係ねぇって何度も言ったろうが」
「そうだけど貴方がまぜっ返すから」
「いつ俺がそうしたよ!」
「今してるじゃないですかッ!」
「じゃあ試しに俺が辞めろっつったら軍辞めたのか」
「誰が!」
「ほら見ろ」
「海賊から足を洗って下さいって私がお願いしたら貴方そうしてくれましたか?」
「誰が」
「ほらね」
「じゃあ聞くなッ!」
「そっちこそッ!」

言い合いながらぜえぜえと肩で息をする。
…ああ、まただ。
たまに口を開くとこの調子。
いつも大事な部分は綺麗にすり抜けて。

女は唇を噛み締めた。
このままで先に進んでしまっていい筈が無い。
そんな感情は今までとんと抱いたことはなかったが、
なんだか自分が可哀想になって来た。
こんなことを思うのは、やはり女だからなのだろうか?
だとしたら、やっぱりくやしい。

目の前の男を改めて睨み付ける。
こんな時でさえ、変わらない仏頂面で自分を見下ろしている。
いつもと違うのは刀の無い丸腰のその姿。

だけど刀を持たなくても、その腕っぷしだけで十分渡り合えるのを知ってる。
ぶっきらぼうな口は、決して嘘は言わないのも知ってる。
鋭い目は笑うと凄く子供っぽくなるのも。
酷い傷痕のある逞しい胸も。
時折優しく響く低い声も。

いつの間にこんなに。
こんな男。
どうして、こんなにまで。

「…もう…いいです」
「何がいいんだ」
「もうわかりました、よぅくわかりました」
「だから何がわかったんだ」
「どうも今まで、貴方には御無理をさせてすみませんでした」
「無理してんのはそっちだろう」
「お願いですからこれ以上みじめにさせないで下さい」
「どうしてそこでお前がみじめになるんだ?」
「何処まで脳みそ筋肉なんですかッ!!」
「んだとォ!?」
「私こんな顔じゃなきゃ良かった!」
「…………………」

思わず女の顔を見つめる。
ガラス越しの瞳から今にも涙が流れそうだった。
でも小さく震えながら必死にこらえている。
そういう女だ。
大体めそめそした女の涙というものは苦手であったが、
いつだったか一度それ用に自分の背中を貸した時、不思議と嫌ではなかった。

そんな事をぼんやりと思い出しているうちに、
ようやっと、こういう部分では鈍い男の神経も働き出す。

「……別に」
「……」
「別に、お前の顔がそんなだから、こうなったんじゃねぇ」
「……………………」
「…お前こそ…」
「……」
「…………刀……」
「………… は?」

次いで、こういう部分で負けず劣らず疎い女の頭も働き出す。

「………、あのぅ……」
「…あ?」
「…和道一文字…」
「……」
「奪おうと思えば、とっくに奪えてますから、私…」
「あァ!?」
「いつでも、貴方が眠ってる間に」
「…………」

…言い返せない。
習慣で睡眠中にも別の神経は眠らせない剣士は、
この女の横ではいつからかまったく無防備だった。
勿論それ相応の敵襲でもあれば、すぐさま飛び起き守れる自信はある。
だがそれも、背中を預けられる腕前の女には要らぬ心配だ。

先程とは違った沈黙が落ちる。
お互いを伺う。

相手はどうあれ、自分の気持ちには自信があったのに。
なんてことだ、こんな些細なことで不安にさせていたか?
剣を持てばあんなに凛とする相手が、今のなんと情けないことか。
いや、それはきっと自分も同じなんだろう。

「…じゃあ」
「はい」
「嫌じゃないのか」
「何がですか」
「いや、だから」
「……」

「貴方こそ」
「何が」
「だから」
「嫌じゃない」

「…」
「…」

「お前は」
「………嫌な訳がないじゃないですか」
「……」

「どうして私が嫌じゃないかなんて思うんですか」
「いや、だって」
「何が、だって」

「そんなこと、一度も言わなかっただろう」
「貴方だって」
「お前こそ」

「…」
「……」

「貴方の腰に今、和道一文字がありません」
「…あー?さっきこの格好の時は差すなって言われて」
「それでも私は、あ、貴方がいいんだもの」

怒った様に言い捨てて、途端女の顔は盛大に火を吹く。
男は極限まで目を見開き、次いでこっちは全身からどっと汗を吹いた。

なんてことを。
…ああ。
でも。

もっとよく顔を見たくて、その邪魔なガラスに手を伸ばす。
眼鏡が外され、無骨な剣士の指が熱い頬にかかる。
裸になった相手の目を間近に覗き込むと、
大きな黒い瞳が真直ぐ見返してきた。

ああ、やっぱり違う。
くいなとは違う。
もうそれはとっくに知ってる。
だって、何度もこうやって眺めた。
確かに同じ顔。
でも。

最初はそうだったかも知れないが、今は違う。
きっと、これが別の顔でも。

これも言葉にして言った方がいいんだろうか。
それとももう流石に伝わったか?
つーか、今まで斬られなかった時点で気付け馬鹿。

面影が欲しくてこんなことしてるんじゃない。

「誓いの口付けにはまだ早いわよ」
「だあぁッ!?」
突然後方から投げかけられた声に、二人は見事に飛び上がって離れた。
「付き合い長いのに知らなかったなァ、お前ムッツリスケベだったのか」
何やらウンウンと頷き感心しながら、いつの間にか背後に狙撃手が腕を組んで立っている。
少し顔が赤いかも知れない。
その横に、苛々と足先でリズムを刻む航海士。
「気が済んだら部屋に戻って貰えるかしら?お化粧まだ残ってるの」
「けけけ気配に気付かなかったなんて不覚でしたあッ!」
「今それは問題じゃないでしょ…」

まったく。仲間が選んだこの女性は、軍人でおまけに歳上の癖に何処か放っておけない。
ナミは慌てふためく女の腕を取り、控え室となっている部屋へ連れ戻すため歩き出す。
薄い布が、よろめいた細い足にひらひらと風を含んで流れた。
今まで自分が見た事がない格好。
大体がスカート姿というのも出会ってから初めてだ。
極力簡素にと次々に装飾をとっぱらっていった結果の、ごく控えめなドレス。
案外、似合う。
いや、割と。
………いや、とても。
ゾロの口から、その姿を見て最初に思った一言が出た。

「綺麗だ」

女が、同じくウソップに腕を取られ反対の部屋に引っ張られて行く男を振り返る。
今まで見た事のない格好。
きっと上着は着ないままなんだろうな。
堅苦しさを毛嫌いし、せっかくのシャツもすっかり自己流な着こなしになってはいるが
元が元、瞬間思わず見愡れた。
たしぎからも自然と出る一言。

「貴方も素敵です」

途端ステレオで邪魔が入った。
「そういうのは後で言うのッ!」
「お前そういうのちゃんと言えるんだな〜!」

でもやっぱり、刀を持ってるのが一番似合う。

とは、お互い口に出さずに少し笑った。

ぐずぐずしている主役達を待ち切れず、甲板では呑めや歌えやの騒ぎが始まっていた。
式と言っても形だけで、内輪だけの小さな宴会みたいなものだ。
腕を存分に振るったコックは御馳走を並べ、それを端から腹に仕舞いこむ海賊王や、
まあ今日とにかく晴れて良かった…とか思いながら名医はその光景を眺める。
直属の部下たちは、まだ信じられないといった風に呆然と突っ立ち、
何かが釈然とせず眉根を寄せたまま葉巻きをくわえている上官は、
時間はかかるかも知れないが、いつかはなんとかなるだろう。

日課の鍛練がまだだの、いや今日の勝負が先だのと、始まってもいない内から
終わった後の算段をごちゃごちゃ言い合ってる二人をどうにか並ばせて、
船室から顔を出したナミが外に合図を送る。
しびれを切らして待機していた音楽家が、一つ息をつきオルガンの鍵盤に指を落とす。

「今日は負けません。貴方に勝てば私が世界一です」
「一生勝たせねぇ」

そうしてやっと、二人にウェディング・マーチが流れ出した。

 

- おわり -